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教育学分野Q&A

Q:人間や教育に関する哲学的・思想史的な研究とは、具体的にはどのようなものですか。

 A:「人間とは何か」、「人間にかかわるとはどういうことか」、「人間が成長する、発達するとはどういうことか」、「人間の価値観はどのようにして形成されていくのか」−こうした問いに対して、古くから多くの人々が答えようとしてきました。さまざまな時代のなかで蓄積されてきた思想や思索にまで遡ることにより、現代では忘れられてしまった重要な思考法を取り戻したり、新たな思考を生み出すためのヒントが得られたりといった可能性が開かれることがあります。あるいはそれらを現代の文脈においてみることで、過去のものの見方や考え方がもつ問題点が見えてきたりします。そうした反省的思考によって、物事に対する新たな考え方や着想が生まれることもあります。

 一言でいえば、人間や教育についての「考え方」を考えることが、人間や教育に関する哲学的・思想史的な研究の基本特徴です。

Q:思想や哲学の文献を読むことばかりになるのですか。

 A:人間や教育に関する哲学的・思想史的な研究には、「現実」との照らし合わせが欠かせません。そのような照らし合わせが明確な方法論に基づいて実証される研究もあれば、自らの経験との照合というかたちで内面的に把握される研究もあるでしょう。教育学分野では、「現実」というフィールドを大切にしています。そう言うと、学校教育や生涯学習が実際に行われている場が思い浮かぶかもしれません。それはもちろん教育の「現場」の一つですし、「現場」に足を運ばなければ教育の「現実」を知ることはできません。しかし、教育とは学校教育や職場での教育訓練だけを意味しているわけではないというのが私たちの立場です。

 人が人と知り合い、その一回限りの出会いがその後の人生を左右してしまうような体験をすることもあります。また、職業としての教師だけが教師とは限りません。たとえ実際には面識がなくとも、その人の生き方や考え方、身の処し方などに感銘を受け、自らの人生の師匠とし、生きる指針とする場合もあります。人間が、その環境や関わる人々と影響を与え合うなかで変化・成長していくという意味では、誰もが生き、そして変容する「現場」、つまり「生の現場」にいるのだといえるでしょう。

 教育についてのものの見方や考え方を磨いていく「現場」は、文献の中にだけ存在するのではなく、それぞれの人間の目の前の「現実」というテクストに存在しています。目の前に横たわる「現実」をいかに相対化し、その「現実」に潜む謎にいかにして迫るか。これが研究の主眼です。私たちは、この相対化の方法として人類学的思考法を手がかりしたフィールド・ワークを行っています。抽象的な思索と具体的なフィールドにおける観察・記述の間を往還する活動は、とても刺激的でスリリングです。

Q:学校教育のことも考察対象にすることはできますか。

 A:もちろん、できます。先ほど教育の問題をより広く捉えると強調しましたが、学校もまたそうしたより広い視野のなかで捉えられる一つの、とても重要なフィールです。学校について人々がどのような思考を張り巡らせてきたのか。学校はどのような機能を託され、実際にどのように作用しているのか。そのような問いに対して、哲学・思想的にアプローチするのみならず、ときには学校現場へも足を運んで観察し、教育実践に携わる方々とコミュニケーションを行い、そして解釈を試みます。

 たとえば日本とドイツと、それぞれの一般家庭や学校の現場にドイツ人研究者のチームと入り、幸福感の比較研究をしたりしています。学校であれ、家庭であれ、哲学と思想のトレーニングを積んで、国による比較、歴史による比較の視点をもって教育のフィールドに分け入ると、従来自明のものとみなされてきた「学校」や「教師」、「家庭」、「親」などの存在が新しい意味を帯びて私たちの前に立ち現れることがあります。教育の問題を捉え返し、また教育の新たな可能性を追求するための好機は、そのような瞬間に得られるのではないでしょうか。

Q:そのような研究はどんな場面で役立つのでしょうか。

 A:必ずしも問題に対する対症療法というようなものではないかもしれません。けれども、むしろそのような即効性のある知識が求められる性急な時代であるからこそ、そういう私たちの思索のあり方を暗黙のうちに規定している“教育”に要因を探り、絶えず自己を省察の対象としてし続けるような作業も、重要ではないでしょうか。人間や教育の問題とされていることの中には、問う側の問題の立て方やものの見方にその原因が認められる場合があるからです。たとえば「教育的にみて重要だ」と言うときの「教育的」という言葉の意味は何なのか?そのような発想の背後にはどんな教育観があるのか?あるいはまた、親が自分の子を「よい子に育てたい」と語るとき、そこで言う「よい子」とはどんな子どもを思い描いているのか?それは誰にとって「よい」子なのか?そもそも「よい」という価値基準はいかにして形成されているのか?等々。私たちが普段何気なく使っている教育に関する言葉の裏には、語り手それぞれの価値観や教育観が潜んでいます。そうした言葉の奥の思想や哲学を探るというのも研究の課題です。